ここだけは見てね


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ようこそ。。。最後までぜひ読んで         


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日本はもとより、世界各国旅して来ましたがヨーロッパよりアフリカ、アジアが大好きだ中でもパプアニューギニ
アなんとも申しようのない国である、旅といっても私の場合、あてもなくふらりと行くのだから色んな事に遭遇す
る         
ニューギニア、明治から現代までが一つになったような国であるテレビで見るのとは大違い、首都には車がひし
めきビルが立ち並び立派な大学もあるチョツと山間部に行くと子供も、おばチャンも五十センチ位の刀を振り回
しながら腰ミノでウロチョロ、関心するのはどんな山奥へ行ってもジャイカの若者が農業指導などで頑張ってい
る事だ               
かと思えば首都の方では(ポートモレスビー)たまたま私の出会った連中は詐欺師と泥棒ばかりゴロゴロその詐
欺師の周り日本人詐欺師がゴロゴロ私も詐欺師に幾度となく声をかけられた、何所から何所まで鉄道を引く計
画がある予算は五十億その利権を一千万で渡すだの(道路工事、橋、浮き桟橋、太陽発電、石油、空港工事、
黒壇)などなどきりがない、中でも老後を海外で生活しませんか土地は国が千坪、五十年無償で貸してくれる一
千万円出せばメイドが二人(フイりッピン人)だが家も国が立ててくれるとか、金だけだまし取られて帰るに帰れ
ず自殺した人、樹の葉を食べて生活している人にも出会った、これはニューギニアにかぎったことではない、フ
ィリピン、タイ、ベトナム、ミヤンマー、インドでも似たような人に出会った。                      
                               
夢膨らませて他国え渡ったのであろうが、夢を見ず、地獄を見ているのであるなんとかしてあげたいのだが、私
にはどうする事も出来ない、せいぜい食事を共にする程度のことである。                      
         
いや、はや、自分の無力さに腹を立てずにはいられない、私にとってこの国はけっこう楽しい国である日本を出
国する時チョコレートを大量に持って行った(大豆位の小粒のチョコレート)行く先々でおんぶされた子供、そこ
らで遊んでいる子供の口に一粒ずつ入れて歩く目をクリクリさせながら美味しそうにペチャペチャそれが楽しく
て毎日、私が宿泊しているロッジの前に朝になると子供たちが集まるようになり、そのうち母親たちもロッジの
前に集まり手を差し出すようになり大人たちもワイワイ、ガヤガヤ、いつのまにかジャパニーズ、コマンドと呼ば
れるようにになり私の頼みはどんな事でも聞くようになつた、この人達はお金をどれだけ出しても何にもやって
わくれない、心心 
と、いった具合で何でも有りの国だ、
ジャングルの奥地一月程共にした部族がある、定かではないが(バット、)と言っていたので、
蝙蝠族ではないかと思う、ほとんど裸の部族である、お金の話をすると、そんなもの知らないと
ゆう、ましてや、見たこともないのである。
そんな中、不思議なことに族長は、少しだが日本語を話すではないか、よく聞くと昔日本兵に
教えられたとの事であった、かなり酷い事もされたそうだ、日本軍の荷物運びの途中、奥さん
は亡くなったとも言っていた、そんな彼らだが不平、不満一つ溢さず、いつもニコニコ、大人も、
子供も元気いっぱいに生きているではないか、私の事も良く面倒を見てくれた。
この国では、部族事に言葉が違うのだとゆうが、英語を話す人もけっこういる、山間部え行くと
通訳もたじたじではないか、しかし言葉が通じなくてもなんとかなるものだ。
必死でわかろうと、いつまででも付き合ってくれる、心温まる民族でわないか、おかげで言葉が
通じなくて困る事はなかった。
困ったことと言えば、交通手段が飛行機しかない、その飛行機が時間になっても来ないのであ
る、空港えいつ来るのか聞きに行くと、これが大変なことではないか、言葉が通じないと判ると
知らん顔をするではないか、これにわ困りました、居合わせた市の職員が手を引いて山の中に
連れて行ってくれた、そこには宮崎から来たジャイカのお兄さんが椎茸栽培の指導をしてい
た、ようやくお兄さんにお願いして確認が取れた、が、当てにならないので朝から空港で待つよ
うにとの事である、来た来た飛行機が3日と2時間遅れ、又その飛行機の臭い事、双発機
30人乗り、現地の人が、豚、鶏、大きな籠を持って乗り込んでくる、お〜たまらない。
首都ポートモレスビへ向けて出発、で、アテンダーがメラネシア系のお譲ちゃん、離陸時私の
隣席、ヒラヒラノ、ワンピース、真黒な肌に、銀色の産毛、つい、つい、そーっとさわつて見た
私の方を見ると、ニコッ、として手を私の前に出し、piease いやいや、なんとも嬉しい事、この
日一日ルンルン気分。
これが、日本だったら、セクハラだの、痴漢だの大騒ぎになるのに、あの、お譲ちゃんには癒さ
れました、改めて、Thank youですよ。
一時間程のフライトでしたが、機内食もありました、その夜トラベルホテル(現地の人は、トラブ
ルホテルとか言ってた)であの、アテンダーのお譲ちゃんと再開、お礼ついでに、食事に誘った
ら気持ち良くお付き合いしてくれました、私たちの食事風景を見ながら、大柄な白人が二人手
を振っている、だれ、と尋ねると昼間のパイロットだと言う、オーストラリア空軍のパイロットだが
バイトで操縦していたらしい、このパイロットにも同席してもらい、二時までワイワイカヤガヤ
支払が七万五千円、ちょっと痛いけど、気持のいい七万五千でした。
翌日島の反対側Popondetta〜Lae面白い事に、赤道直下なのにこの国え来て暑いと思ったこ
とは、一日だけだ真夏から真冬までが小さな島国へ一度に集まっている、こんな南の国に日
本の慰霊碑もある、日本の名前を付けている人もいる。
この国で、日本軍が全滅したその中に私の叔父もいたのだ、遺品の一つも見つかっていない
せめて、この地の土でも持ち帰り仏前にでもと思い、袋に土を詰めていると現地の人が何事か
と尋ねて来る、訳を話すと後日現地まで案内するからそこの土を持って帰れと言うでわない
か。
なんだか、嬉しくなって来た、当時日本兵に辛い思いも教養されただろうに、そしてLae
Laeの山間部の部族、裸族、男はヤシの空を二つ割りにした物か筒をあてがっているだけ、女性は何も無し
感心したのは、どこの赤ちゃんにでもオッパイお、与えるでわないか、そこえ豚が割り込んで来る、まったく知ら
ん顔で豚にも、よその子にもオッパイを与える。
印象に残ったのは豚が乳房おちぎれんばかりに引っ張り振り回すそれでも知らん顔、あ〜私が痛い。
この部族にとって豚は子供と同じに大切な物、自分のことより、他人を優先する連中だ。
私も、見習わなくては、時間もお金もなんにも無い、あるのは自然だけ、それでもみんな幸せいっぱいに暮らし
ている、で、例の、チョコレートを渡して見た、豆粒ほどの小さなチョコレート、涙を流しながら、ペロペロ、人が
来れば大人にも、子供にも一粒ずつ分け与えるでわないか、これには驚いた。
私ならどうしただろう > 
そうこうしているうちに、同行した通訳のあんちゃん、マラリアで、ウーン、ウン、一先ず、首都、ポートモレスビ
まで帰る事に、空港のある州までまる一日、かついで、歩いて、要約たどりついたが、時間になっても飛行機が
来ない、あんちゃんは、汗をだらだら垂らしながら、寒い寒い言うし、2日遅れで、来ました、来ました6人乗りセ
スナ―が、首都え帰り病院え、処が、現地人は、病院野中へ入れないとか、治療しないとか、腹は立つけどしか
たない、では、と、ばかりオーストラリアのケアンズへ、注射1本打って、250$ちとたかいぞな。
で、又、元の山奥へ、モレスビーで通訳交代です、今度は、丸々太ったお嬢様、30才くらいかな、やけに、元気
のいいお嬢様だ事、2日後の夕刻、山奥に到着、お菓子を買い込みお土産に渡すと、大喜びで、その夜、大事
な豚を、丸焼きにしてふるまってくれました。
翌朝、目が覚めると、私の横に、年の頃で、12〜3歳ほどの、丸裸の娘さんが、おねんねしているではないの
たまげたな〜
物も言はず、私にくっついて回る、それを見てだれも何にも言はず、ニコニコ見ているだけだ、これには、まいり
ました、もうひとつまいった事が、この部族、SEXだ所構わず、気が向けばとこででも、いやいや恥ずかしいよ、
私が、やめてくれ〜〜

マタマタ、ポートモレスビ幼いお譲ちゃんに、シャツ一枚着せて同行で有ります。
ポートモレスビに着くなり、デパートに足を運んだ、お譲ちゃんの服を買う為である、この、デパートが又、凄い。
建物は、鉄格子で囲われている、入口には、仁王様みたいな、真っ黒で大柄のお兄様がバット程の棍棒を携え
立っている、店内が凄い、品物は何でも揃っているが、古る物市より酷い、品物に埃がたまり、色さえ確認でき
ない、何年このままなのだろう。
埃を、払い払い、ワンピース、ブラ、パンツ、Tシャツの4点、二万七千円なり、なんだよ、こんな物が、日本で買
う新品と同じ値段、スッキリしない気分だが、購入した、この服を着せる前に、風呂に入れようとHTEL向うが、
HOTLが、お譲ちゃんを、入れてくれない、賄賂、二百キナ払い裏口から、何とか部屋に入り、シャワーをする
ようにすすめると、水をかぶってすぐに出て来る、仕方ないので、シャワー室につれて行き、石鹸付けてゴシゴ
シ洗ってやった、色も少し白くなり、結構可愛い子ではないの、、服を着せ、レストランへ食事に、又、賄賂かと
思いきや、miss,missと、態度が一変、翌朝、飛行機が、飛ぶと言うので急いでお土産購入です。
その夜、早く寝たかったのだが、お嬢様が一晩中テレビを見ている、テレビといえば、日本では、要約BSが始
まった当時、ここパプアでは、世界中の番組を見る事が出来た、3メートル程のパラポラ、アンテナが庭に上を
向いて転がっているだけ、変な国、朝8時、ジャクソン空港に到着、8時40分、珍しく定刻フライトですね。
山の中えと帰って来ました、変身したお譲ちゃんを見にゾロゾロ、服を引っ張ったり突いたり、それ以来このお
譲ちゃん、毎日小川に出かけて、石鹸つけて、体をゴシゴシ、山の中のアイドルですね。
そうこうしているうちに、帰国の日が目前、今度来る時、お土産を持ってくる、欲しい物が有るかと尋ねると、男
も、女も、ピアスが欲しいとの事、それ以外何も求めない、欲の無い連中ですよ。
いよいよ、帰国です、飛行機の乗客7名、枕を全部集めて積み上げベットを作り、大の字になっておねんね。
楽な事、帰国後、フランス、イギリス、アゼルバイジャン、タイランド、エジプト、ペルー、チリ、イースター、バング
ラデッシュ、インド、ミャンマ、チベット、オーストリア、まだまだ回って見たが、何処も大した面白みは無かった。
ケニアの夜、何処の国にも、売春婦はいるが、ケニアの夜の街には驚いた、ターザンの世界かと思いきや、ビ
ルは立ち並び夜の街に出て見ると、体を半分むき出しの、スタイル抜群のお姉ちゃんばかり、ゴロゴロ、みんな
売春婦、収入源は、これしか無いみたいです、車を止めると、半裸の姉ちゃんが、ゾロゾロ、気持ち悪い〜〜
気持ち悪いと言えば、食事だ、さすがに言葉で不自由するので、J××とか言う、旅行会社にお願いしてガイド
を紹介してもらった、中国人で、年齢は32歳とか、日本語があまり得意ではない。
でも、いないよりはましか、早速、食事がしたいhetlでは無く、現地料理を試してみたい。
車で1時間、沼地の上に建つレストランらしき所、そこそこ綺麗な店ではないか、案内されたテーブル、野外で
バナナの葉っぱを10枚程並べただけの屋根が有る、注文を訪ねて来る、サッパリわからないので、ガイドさん
お任せ、7品出るとの事で有ります。
出て来ました、蓋付き、キンピカノの器、1mは、あろうか、早速オープン、デ〜タ〜〜
ワ二さんが1匹、私を睨みつけている、ゴツゴツした肌、ナイフをグサリ、思ったより軟らかい、これ食うのかよ、
エイ、とばかり口に運ぶ、うう、そこそこいける、が、味が無い、そこで日本から持参の味塩をパラリ、いける、
鶏肉の油抜きしたような感じ、次に、お出ましは、コレッ又、真っ黒け、目玉ギョロリ、コウモリさんだ、味もまん
ざらではない、羽根ってゼラチンか。
お次の番だよ、今度は蛙さん、これは何処にでも有りますね、少しは味付けしてよ、ただ、蒸したり、焼いたり、
次は何なんだ、これ、なんなんだ、ミミズの親分か、さすがに手が出ない、ガイドの姉ちゃん、パクパク。
ウジ虫、魚、最後が、モンキーさんの丸蒸し、見ただけで満腹です、料金は、日本円で、1万6千円、高いのか
安いのか良く分からない。
この後、当分日本生活、1年後、次は韓国です。


続きは、突貫工事中の為今しばらくお待ちください。